オペラ18号
8/12

世界で戦う自分がいる       鈴木猛史さんは、バンクーバーパラリンピック(2010年)の男子座位大回転で銅メダルを獲得し、2011〜2012シーズンの障害者アルペンスキーワールドカップ男子座位で年間総合2位、さらに2012〜2013シーズンでは堂々の年間総合1位と種目別(回転)1位という記録を達成した。また、来年ロシアのソチで開かれるパラリンピックには、3回連続の出場が内定している。勤務先の駿河台大学で、話を聞くことができた。チェアスキーのスピードと自由感にハマった2回だけ、泣いた 「ドッジボールをやっても、車椅 「はじめは怖かったけど、スキー小学2年が終ろうとする春休み前、両大腿切断につながる交通事故にあった。半年ほどの入院生活の後、学校側の尽力もあって、小学校に復帰した。とはいえ、古い建物のためエレベーターは設置できない。〝両手があるじゃないか〟と言われ、両手を使って階段の昇り降りもした。子だからやさしくということはなくて、ターゲットにされましたが、普通に扱ってくれるのが嬉しかった。学校の先生からも、〝障害者だからできないではなく、まず挑戦してみなさい。やってみて、少しでもできそうなら工夫してみて、それでもダメなら仕方がないという気持ちを持ちなさい〟と言われました。今から思えば、やってみてダメだったけど、良い経験になったことはたくさんあります」福島県猪苗代町に住んでいたので、スキー場は近い。さまざまなスポーツを経験しながら、チェアスキーとの出会いがあった。9歳のときだった。教室や学校帰りに友達と一緒にナイタースキーに通うようになりました。同じリフトに乗っていろいろ話をしながらゲレンデに行くのが楽しくて、滑っている間は、車椅子よりスピードが出るし、自由になれます。そんなところにハマっていきました」鈴木選手を家族は支え続けている。毎年、シーズンになれば車で長野まJAPANESE ASSOCIATION OF OCCUPATIONAL THERAPISTS 8で送り迎えしていた。「応援する会」はあったが、スポンサーはいない。海外遠征すれば、1回で50万円以上はかかる。それが年に3回になることもある。2人の妹もいる。 「ある長野の大会の帰りの車中で、〝ごめんね、お金、大変だよね〟と父親に言ったら、〝お前、そんなこと心配する必要ない。就職するまでは面倒みてやるから〟と言われました。時間もお金も僕ばかり使っていて申し訳ないと思って、泣いてしまいました。妹たちにも、いつかきちんと謝らないと……」2007年に駿河台大学に入学した。親元から離れた解放感からか、生活にいくらか乱れが生じた。気づいたときには、体重が10キロも増えていた。それまでコンスタントに伸ばしてきた記録は頭打ちになった。レースでスキーのコントロールができず、途中で棄権したこともあった。障害者アルペンスキースキーがあるから鈴木猛史さん

元のページ  ../index.html#8

このブックを見る