Opera19号
5/16

5 JAPANESE ASSOCIATION OF OCCUPATIONAL THERAPISTS●原点は、子どものころからの好奇心でしょうか。ジュール・ヴェルヌが書いた『十五少年漂流記』を小学生の時に読みました。スウェン・ヘディンが書いた『さまよえる湖』も読みました。「湖がさまよう」って何だろうと思ったのです。その2冊は強烈な印象でした。まだ子どもですから、どれがノンフィクションでどれがフィクションかわからなかったのです。それが小説だということがわかったころには、サイエンスフィクション(SF)を読んでいました。そういうのを突きつめていって、『十五少年漂流記』のモデルとなった島を調べたいと思うようになりました。研究家によって、マゼラン海峡のハノバー島とニュージーランドのチャタム島というように、意見が分かれています。まず、船で3日かけてマゼラン海峡からハノバー島に行きました。その島に上ってみて、「こちらではない」とわかりました。というのは、小説では「孤島」と書かれていますが、あちこちに島があって6、7キロほど隣に島が見えます。だから、木を切り倒して筏を作れば、島づたいにやがて陸に上がれるはずです。それで、サンチャゴからニュージーランドに渡って、チャタム島に行く週1便の飛行機に乗って、『十五少年漂流記』のフランス語版の地図を広げて上空から見ていて、「これに間違いない」と思いました。島の中にラグーンが2つあって、フランス語版の地図とそっくりな形をしています。そんなに珍しい島は、めったにないです。そこに着陸してずっと歩いていたら、まさしくこちらが『十五少年漂流記』のモデルになった島だと思いました。ただ動物をたくさん出すために、マゼラン海峡のほうも利用したのです。19世紀ですから、当時は飛行機で取材に行っているわけはないし、航路はありません。そのころ、列強が世界を制覇しようとして詳細な地図を作っていました。ヴェルヌはその国際子午線委員会の委員をしていたので、そこからチャタム島の拡大図かなんかを手に入れたのでしようね。た『地底旅行』のモデルになった火山があります。そこに行くのも旅の大きな目的でした。ヴェルヌが行ったところには、みんな行きました。それから、『さまよえる湖』のモデルになった場所にも行きました。タクラマカン砂漠のローランにあるロプノールという湖が、550年周期で700キロ動くのです。中国との合同探検隊で厳しい旅でしたが、ローラン古城で昔の風に吹かれると、達成感がありました。です。『十五少年漂流記』は、いろんな翻訳が出ていますが、フランス語原版から日本語にしているのは、今はありません。ところが今年、ぼくの娘がフランス語から全訳して、この夏、それをぼくが意訳しました。それで、ヴェルヌの世界はとことん行ったと思っています。●「距離の暴虐」を日本に置き換えると?●その国のシステムや有り様によって、また政治の指導者の考え方によって、千差万別ですが、それぞれの国に「距離の暴虐」のような、どうアイスランドにもヴェルヌが書いそのように、関連が関連を呼ぶのしようもない手枷足枷があると思います。日本は、恵まれすぎていますから、あえて「恵まれた不幸」といいきってしまいたいです。日本の指導者には認識力が足りないと感じています。原発事故で汚染水が大量に海に流れた時、原子力委員会のスポークスマンが、海は広くて大きいからただちに影響がないといっていました。しかし普通に考えれば、海は地球の自転と公転によって動いています。海の水は世界中かけまわっているのですから、広くも深くもないのです。浅い流れがずっとつながっているというのが、普通の認識です。そういうことがわかってくると、水は閉鎖系であることが理解できます。缶詰ではありませんが、水の循環は地球内で起きているだけですから、放射能で汚染されたら、ずっと汚染されたままなのです。●都会と過疎地のどちらが豊かなのかと考えてしまいますが……。●日本の都市集中は、たかが知れているので、中間の都市がいっぱいあります。やがてふるさと回帰が起きてきます。たとえば、今私たちがいる奥会津にぼくは、毎年通っています。緑が豊かだし、生物がいっぱいいるし、山に入ればたくさんの木の実があるし、鳥もいます。しかし、原発事故によって多くのエリアが壊日本の「恵まれた不幸」      

元のページ  ../index.html#5

このブックを見る