Opera19号
9/16

9 JAPANESE ASSOCIATION OF OCCUPATIONAL THERAPISTSでお世話になった方々への恩返しのつもりでがんばりました」 「私は、7歳から高校生のころまでバイオリンを習っていました。ある日、母から〝バイオリン、もう弾けなくなっちゃったね〟と言われて、ふとバイオリンのことが頭に浮かびました。それで、無理と言われるのは覚悟のうえで、小さな声で〝もう一度バイオリンを弾きたい〟とお願いしました。そうしたら、〝やってみよう〟と言ってもらえました」 「はじめは、長袖を着てバイオリンの発表会に出ていました。義手であることを隠していたのです。でも、演奏を聴いて〝すごいよ、もっと聴きたい〟と言っていただいたのが本当にうれしくて、〝あっ、義手は隠してはいけないんだ。これが私の姿なんだから、生き生きしているこの言ったのは担当作業療法士の柴田八衣子さんだが、準備に1年半かかったという。趣味のための義手には公的な補助金が出ない。両手を使ってバイオリンを弾くという前例のない機構をどのように作るのか。作業療法士だけでは手に負えない。そこで、義手装具士や主治医など、まわりのスタッフでチームを作って取り組んだ。野村さんの熱い想いとあきらめないチームの熱意が一つになって実を結んだ。姿を見てもらうことが大切なんだ〟と、気づきました」 「看護師として私が受け持つ仕事はみんなと平等です。病院は、私に介助をつけるような甘い世界ではありません。本当にありがたいです。私には大切な相棒のフック船長ですが、はじめて見た患者さんは一度はびっくりされます。でも、患者さんにもフック船長を理解していただくように努めていますので、あなたには看護されたくないと言われたことは一度もありません。それは、すごく励みになります。私にとっては一生の宝です。ここまで来るのに、たくさん泣いて、たくさん壁にぶつかってきました。でも、そのたびに手を差しのべてくれる人がいました。岐路に立たされたとき、必ずとなりに寄り添ってくれるスタッフがいました。そういう人たちのおかげで、自分はこうして笑っていられるという感謝の気持ちを忘れないようにして、人の心に寄り添える看護師になりたいと思っています」満面の笑顔が爽やかに輝いていた。あきらめない熱意が一つになって「義手は隠してはいけない」人の心に寄り添える看護師に(Photo関大介)会場からは、惜しみない拍手がおくられる 「やってみよう」と【座談会】左から、中村春基会長、柴田八衣子さん、野村真波さん  .

元のページ  ../index.html#9

このブックを見る