はたらくことは、いきること

あの「ちゃんぽん」をもう一度作りたい

はたらくことはいきること

就労支援

新武雄病院作業療法士・杉谷翔さんと、岸川幸生さん。

ちゃんぽん「でんすけ」店長・岸川幸生さん(左)と新武雄病院リハビリテーション科作業療法士・杉谷翔さん(右)

ちゃんぽん「でんすけ」店長・岸川幸生さん(左)と新武雄病院リハビリテーション科作業療法士・杉谷翔さん(右)

 岸川幸生さんは、1981年に、佐賀県武雄市でちゃんぽん店「でんすけ」を開店。以来30年間、地域に愛されるちゃんぽん屋さんとして人気だった。そんな岸川さんが倒れたのは、2011年のことだった。

 岸川さんは、倒れた日のことをよく覚えている。「1月16日の夜のことでした」。本屋さんに、車で出かけたとき、足が宙に浮いたような感覚を覚えた。奥様に「ちょっとおかしいから、帰ろうか」と伝え、車に横になって奥様の運転で帰宅した。「疲れたかな」と、家に帰ってすぐ横になって休んだが、夜中にトイレに起きたときも、腰が抜けたような感じが続いた。翌朝7時ごろ、起きてまたトイレに行こうとしたが、腰が抜けたような感覚のまま。大声で奥様を呼ぼうとしたが、声が出ない。ようやく奥様に気づいてもらい、新武雄病院に連絡したら「すぐ連れてきてくれ」と言われた。検査をしている最中に、右の手足が動かなくなった。そのまま入院。病名は脳幹梗塞。体をつかさどる中枢とされる脳幹部分の血管に血栓あるいは狭窄ができる。命の危険もある病気だが、幸い岸川さんの梗塞は大きくはなかった。

 さっそく、次の日から岸川さんのリハビリテーションがはじまった。「まったく右の手足の感覚はわからなかったです。家内に『おいの右手、どこや。ちょっととってくれんや』と頼まないとわからない」(岸川さん)。リハビリテーションを担当した新武雄病院の杉谷翔さんは「こちらに来た時のまひの状態は良くなかったです。私たちは6段階で評価するのですが、肩と足が、下から二番目くらいの悪い状態。指は一番悪い状態でした」。それでも懸命のリハビリテーションを一週間ほど続けたとき、指が少しだけ動いた。主治医から「これなら他のところも動くようになるよ」と言われた。それからまた少しすると足の指がちょっと動くようになった。「そしたらまた、『岸川さん、歩けるようになるよ』と言われて」(岸川さん)。目標が明確になった事で、リハビリテーションの訓練時間も徐々に増えていき、一日の上限3時間の訓練メニューをこなすようになった。

 杉谷さんは、理学療法士とペアを組んで岸川さんのリハビリテーションにあたった。「理学療法士さんには、しっかり歩く練習をしてもらって。私はトイレなど身の回りのことを自分でできるようにと取り組みました」。足しげく病院に通われていた岸川さんの奥様に「なにか病室の中で、私にもできるようなことはないですか」と聞かれ、病室でも簡単にできるリハビリテーションを伝えたりもした。そのかいもあって「入院時の状態は悪かったが、日に日にぐんぐんよくなってきた。脳梗塞の患者さんの場合、言語障害や記憶障害などがあって、コミュニケーションに困難を抱える人もいて、そうすると、リハビリテーションがうまく進まないことがあります。岸川さんの場合、そうしたことがなかったことも大きい。もちろん、一番の理由は、岸川さんの努力があったからだと思います」(杉谷さん)。

リハビリテーションに使う道具を作るリハビリテーションを通じて、日常動作を身につけた。

リハビリテーションに使う道具を作るリハビリテーションを通じて、日常動作を身につけた。

 杖をついて、自分で歩けるようになり、退院するまでは、半年ほどかかった。「その時は62歳。まだ年金をもらえる年齢ではありませんでした。それでも仕事をするつもりはなかったのですが、いろいろな人と話をしているうちに、食堂再開の話が持ち上がってきて」(岸川さん)。杉谷さんは「退院後のことはいろいろ話し合いをしました。年金を前倒しして受給するという話もあったのですが、退院後、それまで続けてきたちゃんぽん屋さんを辞めてしまったら岸川さんの暮らしはどうなるのかなと心配になって」。

30年続いたちゃんぽん屋「でんすけ」をリニューアルオープン。

30年続いたちゃんぽん屋「でんすけ」をリニューアルオープン。

 そこで、岸川さんは、武雄市で高齢者支援事業、障害者支援事業を行っている「NPO法人ゆとり」の厨房で2011年の11月から働きはじめた。はじめは配膳、下膳の仕事を、次第に調理の仕事にも広げていった。2012年10月5日、ちゃんぽん屋「でんすけ」は再びオープンした。NPO法人「ゆとり」の就労支援施設の位置づけで、岸川さんは7人の障害者とともに働く店長として、再び厨房に立った。「入院しているときから、ほかの患者さんから『ちゃんぽん屋はもうやらんのかね』と声をかけられるくらい、地元に根付いた店だったんです」と杉谷さん。再び事業主として事業をはじめることは不安が大きいのでは、と、NPO法人ゆとりが就労支援施設として店を引き継ぎ、岸川さんを店長として迎え入れた。今、武雄市の住宅街の中にある小さな店をのぞくと、7人の障害者とともにちゃんぽんづくりに精を出す岸川さんの元気な姿を、見ることができる。

障害のある人たちと一緒に、食堂を切り盛りする岸川さん。

障害のある人たちと一緒に、食堂を切り盛りする岸川さん。

■施設情報
一般社団法人 巨樹の会 新武雄病院
〒843-0024 佐賀県武雄市武雄町大字富岡12628番地
電話: 0954-23-3111