はたらくことは、いきること

ソファに座って話しながら、ゆっくり取り戻した「記憶」

はたらくことはいきること

竹田綜合病院作業療法士・丹羽敏浩さんとTさん

Tさんと丹羽さんは、このソファに座り、よく作業療法をしていた

Tさんと丹羽さんは、このソファに座り、よく作業療法をしていた

 「ああ、ここだ、ここだ。なつかしいな」。回復期リハビリテーション病棟の外廊下に置かれたソファを指さす。「毎日、このソファに座っていました。夕方になると、妻が来てくれて。スリッパのパタパタいう音で、妻だとわかったんです」。

 Tさんは、2014年7月、脳出血でここ福島県・会津若松市の竹田綜合病院に入院した。一度目の症状は比較的軽く、2か月ほどの入院とリハビリテーションで、もとの会社に復帰できる見込みだった。しかし、退院して、職場復帰の日程を決める打ち合わせの当日、二度目の出血。2014年9月のことだった。再度の入院を余儀なくされてしまう。二度目の症状は重く、特に記憶障害が深刻だったという。

 Tさん自身は、一度目の入院から二度目の入院までのことを、よく覚えていない。Tさんの奥さんは、当時をこう振り返る。「退院してすぐ、車を運転できるようになるまでには回復したんです。でも10日くらいで、今まで読めていた文字が、なぜか読めなくなったんです。メモも取れなくなって。おかしい、と受診したら脳梗塞だとわかりました。10月から仕事に行く予定だったのに、残念です」。

竹田綜合病院作業療法士・丹羽敏浩さん

竹田綜合病院作業療法士・丹羽敏浩さん

 Tさんの担当である、竹田綜合病院リハビリテーション部の作業療法士・丹羽敏浩さんは「一度目も二度目も、身体面は麻痺もあまりなく、状況はよかった。記憶面に課題がありました。それでも一度目は職場復帰を目標にできましたが、二度目はもっと症状が重くなりました」。そこで丹羽さんは、まずはTさんが家に帰って、安全に暮らすことができるようになることを目標にした。「まずはどれくらいの生活を維持することができるかを、簡単な数字ゲームだったり、指先を使うような道具を使って評価していきました。だから、Tさんにとっては、あまり作業療法という感じはしなかったんじゃないでしょうか」。

 その場所が、冒頭の外廊下に置かれたソファだった。Tさんは、窓の外に見えるお城を指さしながら「僕の先祖は、あそこに見える鶴ヶ城で働いていたんです。士族だったそうです。僕は6年前に、ここに戻ってくるまでは、復元される前の壊れた鶴ヶ城の写真しか見たことがなかったんですけど。鶴ヶ城を見ると落ち着くんです。毎日、ここに座っているのが、嬉しかったんです」。と作業療法の様子を振り返る。

回復期リハビリテーション病棟からは、鶴ヶ城が見える

回復期リハビリテーション病棟からは、鶴ヶ城が見える

 「新しいことよりも、昔の思い出や過去のエピソードの方が、記憶が引き出しやすいんです。ですから、記憶に障害がある方に対しては、昔よくやっていた遊びや、よく聴いていた音楽などを手がかりに記憶を引き出すことがあります。特にこの会津に昔から住んでいた方たちは、この竹田綜合病院だけでも『昔はああだった』とか、鶴ヶ城を見れば『昔はあんなに綺麗じゃなかった』とか、いろいろな話が出てきたりしますので、ここから見える景色を中心に話を引き出しています」と丹羽さん。たとえば、最初の頃は、将棋をしながらいろんな話をしたという。「ひょんなことから、将棋を指すということをおっしゃったので、それじゃあ一局やってみますか、ということになりました」。Tさんの奥さんは「主人が将棋がすごく好きだったことなんて、二人で深く会話しないとわからないことじゃないですか。それですごく安心して、ありがたいなと思ったんです」と話す。

 丹羽さんは、こうしてTさんの記憶を引き出しながら、記憶を取り戻す訓練を行っていった。「よくやったのは、廊下にお手玉を一緒に隠して、記憶を頼りに探す、というゲームです。はじめたばかりの頃は、15個ほど隠して、ほとんど一つも見つけられないくらい。でも退院する前には、大体の場所は覚えられるようになっていました」。

 退院した今でも、Tさんは、2週間に1回ほど、外来作業療法のため通院をしている。大学3年生になる娘のためにも、少しでも働きたいと就労支援施設の受け入れを目指している。

Tさんの奥様は「今まで主人に頼りきりだったので、どうなるのか不安でした」と当時を振り返る

Tさんの奥様は「今まで主人に頼りきりだったので、どうなるのか不安でした」と当時を振り返る

■施設情報
竹田綜合病院
〒965-0876 福島県会津若松市山鹿町3-27
電話:0242-27-5511