作業療法にまつわるエピソード「あの日のできた」にたくさんの応募をいただきありがとうございました。
みなさまの「あの日のできた」をご紹介します。
「で あ い か ら」
岐阜県 西 垣 和 志 様
作業療法士さんが、「こんにちは。今日から担当になりました。よろしくお願いします」と、マスク越しにも伝わる笑顔と明るい声。私も「こちらこそよろしくお願いします」と応え、リハビリが始まりました。
リハビリでは、私が蹴り出す足を、両腕で受け止めてくださいます。時には受け損ねることもあり、そのたびに「うわっはははぁ」と屈託のない笑い声がマスクのなかから聞こえてきます。少し会話をするだけでも、先生はよく笑い、はきはきと声を掛けてくださるので、私もついその明るさに引き込まれてしまいます。
リハビリの時間は汗をかきながらも心地よく、先生の来訪が待ち遠しくなるほどでした。私は親しみを込めて先生を「わっはっは先生」と呼ぶようになり、その人柄に励まされるうちに、くじけそうだった気持ちも次第に元気を取り戻していきました。先生自作のコマ送り写真と挿絵が入った「海山イメージ体操」紙にも赤字で書かれた「やりすぎに注意」とのメッセージ。私は、それを部屋の冷蔵庫に貼りました。また先生は、靴下履き用の福祉用具を目の前で作ってくれたり、転倒防止の床運動や浴槽の出入りの楽な方法を指導してくださったり。
「継続は力、マイペースで」と笑顔でリハビリをしてくれました。
自立生活が向上するにつれ、先生からの卒業の日が。「先生、ありがとうございました」
花の写真を撮りたい
岐阜県 どんな花でも私ならきれいに撮れる 様
心臓の調子が悪くなり、手術を受けてから体力が落ちてしまいました。花の写真を撮りに行きたくても、自転車をこぐ力がない…。もう撮りに行くことができない…と悲観していたら、先生が「まずはしっかり運動して体力をつけましょう。デイサービスの庭の花を撮っていいので、デジカメを持って来て下さい」と声を掛けられ、元気が出ました。自分で自転車をこげない間でも、花を撮る楽しみを続けられたことがうれしかったです。今では、以前のように元気に自転車をこぐことはできませんが、近所の花を撮りに行けるようになりました。きれいな花を撮って先生に見せるのが今の楽しみです。
「不摂生」
鳥取県 ラク太 様
医師の忠告を聞き流し、不摂生を続ける私に天罰が下り、気が付けば病院のベッドに横たわっていた。まだやりたいことがたくさんある。懸命にリハビリに励み、いよいよ退院かと思いきや、次に待っていたのは老人ホームへの入居。それからの日々は、毎日8時間、10ヵ月、車いすでベッドとデイの往復、悶々とした思いを抱えていた。それでも昔とった杵柄を生かし、デザインや文案の公募に挑戦したい。そんな思いが伝わったのか、作業療法士による訪問リハビリが始まった。まさに水を得た魚のような思いだ。応募するにはポストに投函できなければ意味がない。最初は歩行器で脚力の強化を図り、「そろそろ杖で歩いたら」との作業療法士からの助言。そして杖も必要なくなり、現在は自力歩行で八百メートル近く歩き、付き添いがあればポストに行けるまでに回復した。現在、公募制作に勤しんでいる。この間にも「エレベータを止めて階段を使ったら」の助言で即実践。あとは持久力を付け、自力で外歩きできれば目標に近づける。その都度、的確な助言をしてくれた作業療法士には感謝しています。

「大好きな水泳をもう一度」
東京都 受験生 様
中学時代、私は水泳部の活動中に体を痛めました。四歳から続けてきた水泳で痛みを感じたことはなく、初めは単なる筋肉痛だと思っていました。しかし、次第に痛みは全身へと広がり、椅子に座ることも、学校に通うこともできなくなりました。症状を記録するために始めた「痛みノート」には、日々の痛みだけではなく心の内に抱えていた不安や恐怖も記しました。
いくつもの病院を受診しましたが原因は分からず、最終的に慢性疼痛と診断されました。そこで担当の作業療法士の先生と出会いました。痛みの仕組みを丁寧に説明してくださり、不安や恐怖が少しずつ和らいでいきました。先生とコミュニケーションを取りながらリハビリに取り組み、徐々に心も体も回復していきました。
中学二年生の終盤には当たり前の生活を取り戻し、高校では、心残りだった水泳部に再び入部することができました。
あの日、先生に出会えたことが私の人生を大きく変えてくれました。
今、私は作業療法士を目指しています。


