追悼 杉原素子 第4代会長
本会の第4代会長を務められた杉原素子先生が、2026年2月5日にご逝去されました。杉原先生は、2001年から2009年まで本会会長を務められ、本会の発展にご尽力されました。加えて、2009年~2025年、日本作業療法士連盟会長も務められました。本稿では、杉原先生の主なご功績を改めて顕かにし、先生の跡を継ぎ、本会を支えてこられた歴代会長と山本伸一現会長による追悼の言葉を掲載して杉原先生を偲びます。
◆杉原先生の主なご功績

1970年代初頭、我が国の作業療法の黎明期にあって作業療法士の養成を外国人教師に頼らざるを得なかった時代に、杉原先生は東京都から派遣されて米国で作業療法士免許を取得。帰国後直ちに作業療法士養成校(都立府中リハビリテーション学院)の教員に着任され、本会に入会。以後、職業人として作業療法学生の教育と研究活動に精力を傾ける一方で、作業療法士の学術研究、養成・生涯教育、社会的地位の向上、普及振興、国際交流等の活動に心血を注いでこられました。
1979年には第13回日本作業療法士協会学会の学会長を務められ、同年、初代教育部長にも就任して、現在まで続く教育事業として作業療法士の生涯教育の基礎を築かれました。1985年から1998年までは事務局長職に就き、協会の中枢にあって第2代会長、第3代会長に仕えながら、実質的に組織を統括し事業活動を支えられました。この間、第二次長期活動計画の策定に取り組み、2000年までの協会の活動指針と実践計画を打ち出しました。
2001年には第4代会長に就任、4期8年にわたって務められました。教育事業としては生涯教育単位認定システムを生涯教育制度として全面改定し、認定作業療法士制度・専門作業療法士制度を立ち上げました。また、学術事業としては事例報告登録制度・課題研究助成制度を創設しました。さらに2000年の介護保険法施行を受けて、在宅訪問作業療法の技術研修に力を入れ、訪問リハビリテーション専門機関の必要性を訴えるとともに、地域リハビリテーション支援体制の強化を求める要望活動を精力的に主導されました。また、こうした動きに伴って、会員が安心して活動の場を広げられるように、全会員加入型の賠償責任保険「作業療法士総合補償保険制度」を導入したことも注目に値します。
◆杉原先生のご略歴

◆追悼のお言葉
第6代会長 山本 伸一
このたび杉原素子先生のご逝去の報に接し、言葉に尽くせぬ深い悲しみとともに、心より哀悼の意を表します。
先生は本会の会長として、2001年6月21日から2009年6月22日までの8年間、時代の大きな転換期に舵を取られました。医療制度改革や介護保険制度の定着等、社会保障を取り巻く環境が大きく変化するなかで、作業療法士の専門性と将来像を明確に示し、力強く組織を導かれました。
なかでも、先生が提唱・推進された2008年から2012年までの5年間に「地域生活移行支援の推進~作業療法5・5(GO・GO)計画~」は、今日に至るまで本会の方向性を象徴する理念であります。すなわち、作業療法士の活動の場を「医療に5割、地域生活の場に5割の作業療法士配置を目標」へ展開していくという明確なビジョンです。当時、作業療法は主として医療機関に基盤を置いていましたが、先生は早くから地域包括ケアの時代を見据え、生活の場へと専門性を広げる必要性を提起されました。それは単なる配置の比率ではなく、「生活を支える専門職」としての戦略的提言であったと言えます。
この5・5計画のもと、地域リハビリテーションの推進、介護保険領域での職域拡大、行政との連携強化等、多方面にわたる取り組みが進められました。結果として、作業療法士の活躍の場は医療機関にとどまらず、在宅、福祉、教育、就労支援等へと着実に広がり、現在の多様な実践の礎が築かれました。先生は常に、「作業療法は人の生活を守るためにある」と語られました。その言葉どおり、制度の変化に翻弄されるのではなく、社会の変化を先取りしながら専門職の未来を描き続けられました。その先見性と信念、そして温かな人柄は、多くの会員の心に深く刻まれております。
私たちは今、先生が示された5・5計画の精神を受け継ぎ、医療と地域の双方において国民の生活を支える存在であり続けなければなりません。それこそが、先生への何よりの恩返しだと思います。ここに改めて、長年にわたるご尽力とご功績に深甚なる敬意と感謝を捧げ、安らかなるご永眠を心よりお祈り申し上げます。
第5代会長 中村 春基
「凛としていなさい」これが、杉原元会長からいただいた会長業務引継ぎの唯一の言葉でした。杉原先生とのお付き合いは理事就任以来40年以上になりますが、言動、立ち居振る舞い、協会用務への向き合い方等々、常に「凛」とされていました。また、本当に情に厚い人格者でもありました。
国際医療福祉大学開設当初、その運営には数々の意見があり、苦労されたと思います。しかし、今では多くの卒業生が、協会活動をはじめ、さまざまな領域で活躍されています。時代を先取りした取り組みだったと思います。
杉原会長2期目の会長選挙の時、北陸の学会で杉原先生を含む3人が立候補されました。投票に先立ち、総会出席者の前で立候補者と推薦者からの演説が行われました(当時は総会出席者全員による投票でした)。杉原先生は白のスーツ姿で登壇され、推薦者演説には故・鎌倉矩子先生が経ちました。お二人とも本当に「凛」としたお話ぶりでしたが、時折出るはにかむような笑顔が思い出されます。
故・鈴木初代会長から杉原4代会長までの協会活動は、黎明期から基盤構築の時代だったと思います。支援してくれる団体、関係者も少なく、作業療法の存在を国民にどのようにアピールするかに腐心された日々だったと思います。
そのようななかでWFOT大会の誘致に成功され、2015年の第15回WFOT大会は上皇さまご夫妻の臨席を仰ぎ、開催されました。関係団体からの賞賛の言葉を記憶しています。それが今の国際活動につながっています。先生の蒔いた種が成長し、日本の作業療法を明るく照らしています。
ピーピーとFAXの届く音。2メートルにも及ぶ協会活動について苦言とご意見。先生は覚えていらっしゃいますか? その最後の言葉が「凛」でした。人とは、協会とは、人生を通してご教示いただきました。不安定な世情である今こそ「凛」としていなくては思います。心から感謝を込めて本当にありがとうございました。
◆WFOTからの追悼のお言葉
杉原先生は1995年~2001年にWFOT第一代理および第二代理も歴任されました。このたびの訃報を受け、WFOTホームページには杉原先生の追悼記事が掲載されています。
WFOTホームページ 杉原素子先生の追悼記事はこちら。
